大異教徒軍って何 | ヴァイキング 〜海の覇者たち〜




ドラマ「ヴァイキング 〜海の覇者たち」シーズン4では、ラグナル王の復讐のためにヴァイキングたちが集結。大軍となってイングランドに攻め込みました。ドラマオリジナルのできごとかと思っていたのですが、大異教徒軍として記録されている中世ヨーロッパで実際に起きた事件です。
ヴァイキングについては、かつてそう呼ばれる集団がヨーロッパを荒らしていた、ぐらいにしか認識していなかったのですが、国の存亡に関わるような規模で活動していました。ちょっとおもしろそうだったので調べてみました。

ヴァイキングについて

概要


(小さなバイキング ビッケ 評論社 / 出典 Amazon

ヴァイキングというと、角の付いた兜に斧、船で海や河川沿いの村や町を襲撃する野蛮な部族といったイメージがあります。

本来は今のスウェーデンやノルウェー、デンマークのあたりに住んでいた人々のことです。北欧の海岸には、切り立った崖が複雑に入り組んだフィヨルドと呼ばれる地形が広がっています。フィヨルドのことを古い北欧の言葉で「vik(ヴィク)」といい、vikingはvik住んでいる人々のことを指します。ノルマン人とも呼ばれます。


(フィヨルド 画像出典 Wikipedia)

もともとは農業や漁業を行い、交易によって大きな富を得ていました。彼らの活動範囲は広大で、居住地であるスカンディナビアやユトランド半島からブリテン諸島やイベリア半島をまわり、地中海や黒海、カスピ海、北米ニューファンドランド島にまで達しました。

ヴァイキングはなぜ周辺国を侵略したのか

交易を中心として栄えていたヴァイキングがどうして西欧諸国に侵攻しだしたのか。理由はよくはわかっていません。

宗教的対立説
侵略説
人口過剰説

などの説があります。

宗教的対立説

ヴァイキングの活動が活発になる800年頃は、フランク王国(現在のフランスのもとになる国)のカール大帝がキリスト教を掲げて周辺諸国に侵攻していた時期でした。そのため、キリスト教の浸透へ反発した北欧の民が反撃したとする説です。

侵略説

交易によって地理の知識や工業、軍事技術が進んでおり、さらなる富を求めて周辺諸国を侵略したとする説です。

人口過剰説

温暖化によって北欧の土地の生産性が上がったため、食料の供給率が上がりました。出生率も上がり人口が増えたため、新たな居住地を求めて周辺諸国へ進出したとする説です。

大異教徒軍について

概要

8世紀半ば、北欧に住んでいたヴァイキングがイングランドを荒らすようになります。前述のように、なぜ彼らがイングランドをはじめとする西欧諸国を掠奪して回るようになったのかはわかっていません。そして9世紀半ば、それまでにない大規模なヴァイキングの軍勢がイングランドを襲いました。それが「大異教徒軍(Great Heathen Army)」です。

当時、イングランドは大小いくつかの国が勢力争いを続ける戦国時代にありました。そんなイングランドに上陸した大異教徒軍は、イーストアングリア国、マーシア国、ノーサンブリア国を打ち破り、ウェセックス国を滅亡寸前にまで追いやります。そして、10年以上にわたってイングランドを荒らし回り、最終的にイングランドはヴァイキングたちが治める地域とアングロサクソン人が治める地域に別れることになります。

大異教徒軍はなぜイングランドを襲ったのか

大異教徒軍が襲来する以前もイングランドはたびたびヴァイキングに荒らされていました。それがなぜ865年には大規模な軍事行動につながったのか。本当のところはわかっていません。伝説では、ヴァイキングの王ラグナル・ロズブローク(Ragnar Lodbrok)がノーサンブリアのエラ王に捕らえられ、蛇の穴に落として処刑されたため、ラグナル王の子どもたちが軍勢を率いて復讐に現れたと語られています。

ちょっとややこしいのですが、大異教徒軍はHvitserk(ヴィトゼルク)やIvar the Boneless(骨なしアイヴァーまたはイーヴァル)、Halfdan Ragnarsson(ハルフダン・ラグナルスソン)、Ubba(ウバ)、Bjorn Ironside(剛勇のビヨルン)、Sigurd Snake-in-the-Eye(蛇の目のシグルズ)といった人物によって率いられていました。このことは「アングロサクソン年代記」という歴史書に記載されています。しかし、彼らがラグナル・ロズブロークの子どもであり、復讐のために襲撃したという流れは北欧に伝わる物語の中で語られているているだけです。
なお、ヴァイキングの指導者の一人としてビヨルンやアイヴァー同様、ハルフダン・ラグナルソンという人物が実在しました。彼はラグナル・ロズブロークの息子とされますが、ドラマには登場していません。ドラマには美髪王ハーラルの弟としてハルフダンというキャラが登場しています。

大異教徒軍の経緯

大異教徒軍の動きをどのようなものだったのでしょうか。

大異教徒軍以前

787年 イングランド沿岸にヴァイキングが出没
ヴァイキングとアングロサクソン人の最初の接触とされる事件です。

793年 リンディスファーン修道院を襲撃
リンディスファーン修道院は、リンディスファーン島にあった修道院です。

イングランド東北部のノーサンバーランド州海岸のリンディスファーン島にあった中世のケルト教会修道院。北部イングランドのキリスト教化が始まった地として知られる。(Wikipedia)

ヴァイキングによる最初のイングランド襲撃と考えられています。ドラマ「ヴァイキング」では、ラグナルの最初の遠征で標的となったのがリンディスファーン修道院でした。ここで修道士アセルスタンに出会いました。

日本では平安時代がはじまる頃になります(奈良から京都への遷都が794年)。

795年 ヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院を襲撃

アイオナ修道院は、スコットランド西方海上に浮かぶインナー・ヘブリディーズ諸島のアイオナ島にあった中世ケルト教会の修道院。中世前期のキリスト教布教の中心地であった。(Wikipedia)

800年 カール大帝がローマ皇帝として戴冠
フランク王国が北方へ進出してきます。その結果、ヴァイキングたちの危機感が高まったとされます。


(青色がもともとのフランク王国領土。オレンジがカール大帝が獲得した領土。黄色は勢力範囲/画像出典 Wikipedia)

810年 フランク王国の北端であるフリースラントへ侵攻
北方でのヴァイキングの活動が激しくなります。
フランク王国は懐柔を試みますが、フランク王国自体が分割などによって弱体化したため、ヴァイキングの活動はますます活発になりました。

830年代 フランク王国へ侵攻

840年代 ロワール川河口のナントやブルターニュを襲撃

850年代 イングランドを蹂躙。地中海にも進出。イタリアやローヌ川流域を襲撃。

860年代 フランク王国が防衛を固めたためイングランドへ関心が向きます。

大異教徒軍によるイングランド侵略


865年 大異教徒軍がイングランド・イーストアングリア国に上陸
イーストアングリア王は馬などを献上することで和平します。

866年 北上してノーサンブリアへ侵攻
ヨールヴィーク(現ヨーク)などを占拠。エラ王を殺害し、傀儡王エグバート1世を擁立。

867年 南下してマーシア国へ侵攻
ノッティンガムを占拠。マーシア&ウェセックス連合軍がノッティンガムを包囲しますが、大規模な戦闘にはなりませんでした。結局マーシアは和平を結びます。


868年 ヨークへ戻って越冬

870年 イーストアングリア国へ再度侵攻
イーストアングリア国王エドマンドはキリスト教を棄教することを拒否したため処刑されますが、のちに殉教者として聖人に列せられます。このときエドマンドを処刑した人物として骨なしのアイヴァーとウバの名前が記録されています。しかしここで骨なしのアイヴァーが大異教徒軍を抜けたため記録から消えます。彼が抜けた理由はわかりません。その後の行動も不明です。

871年 ウェセックス国へ侵攻
ウェセックス軍と大異教徒軍は攻防を続け、ヴァイキングは優勢になりますが、アルフレッドを破ることができませんでした。ヴァイキングはアルフレッドと停戦し、ロンドンへ撤退します。


872年 871年末からロンドンで越冬したのち、ノーサンブリアへ戻ります。これは、傀儡王エグバート1世への反乱を鎮圧するためとされています。
その後、トークシー、レプトンと進み、越冬します。


874年 レプトンで大異教徒軍が二手に分かれる。
なぜ別れたのかはわかりません。ドラマでも地中海を目指すグループとイングランドへ残るグループに分かれていました。
ともかく、ハルフダン(ドラマのハルフダンとは別人です)率いる一隊は北上し、ノーサンブリアやスコットランドに攻め込みました。その後876年にノーサンブリアに戻り定着します。以降、ハルフダンをヨールヴィーク(ヨーク)王と呼ぶこともあります。

二手に分かれたもう一隊はグズルム(Guthrum)に率いられ、ウェセックスと領土争いを続けます。一時は劣勢だったアルフレッド王が持ち直し、878年のエサンドゥーンの戦い(またはエディントンの戦い)に勝利し、ウェドモーアの和議が結ばれます。この和平によって南西部をアングロサクソン人のウェセックス国が、東部一帯(現ヨークからロンドン北部に至る地域)をヴァイキングが支配することになります。
以降、東部一帯にはアングロ・サクソンの文化や慣習とは異なる独自の文化が発展し、デーンロウ(デーン人の領域)と呼ばれるようになります。


(黄色の領域がデーンロウ)

敗れたグズルムはグロスターに撤退。その後イーストアングリアに戻って王位に就き、890年に亡くなります。
アルフレッドは都市を要塞化し、兵制を改革。アングロサクソン人の支配を強化していきました。ヴァイキングは、アルフレッド王の強大化とグズルムの敗退などにより大陸へ関心を向けます。

大異教徒軍以後

911年 ヴァイキングのロロがフランク王国内にノルマンディー公国を建てます。

1013年 デンマークとノルウェーを統一したハーラル1世のあとを継いだスヴェン1世は、980年代からイングランドを襲い、1013年にはイングランド王に就きました。

1016年 スヴェン1世の息子クヌート1世がイングランド王として即位。その後、クヌート1世はデンマーク王とノルウェー王も兼ねることとなり、大王と呼ばれて北海帝国を築きます。しかし北海帝国はクヌートの死後、すぐに衰退。

1066年 クヌート王の死後、イングランドではウェセックス王家が復権していましたが、ノルマンディー公ギョーム(ウィリアム)によって征服され、ノルマン朝が起こります。

下図は12世紀にヴァイキングが獲得した領土です。

(画像出典 Wikipedia)
フランス北西部はヴァイキング(ノルマン人)が居住したためノルマンディー地方と呼ばれるようになります。地中海地方では、南イタリアを統一し、シチリア王国を築きました。また南イタリアの封建君主ボエモンは指導者の一人として第1回十字軍(1096年)に加わり、のちにアンティオキア公国を築きました。

食べ放題が「バイキング」なわけ

ちなみに日本では、食べ放題形式の食事のことをバイキング形式などということがあります。これには理由があります。

北欧の食事方法に「スモーガスボード(smorgasbord)」と呼ばれる食べ方があります。スモーガスボードはスウェーデン語で、いろいな料理を1つのテーブルに並べ、好きなものを取って立食する方法のことです。欧米では、食べ放題の意味で使われることもあります。
「スモーガス」はオープンサンドイッチ(パンとパンの間に具材を挟むのではなくパンの上に乗せて食べる)、「ボード」はテーブルの意味です。

日本では1950年代、東京の帝国ホテルがスモーガスボードを取り入れるレストランをオープンしました。このときスウェーデン語に馴染みがなったがなかったため、店名を北欧にちなんで「バイキング」としました。好きなものを自由にとって食べるスタイルは好評となり、ほかのレストランでも「バイキングスタイル」として採用されました。そのため、日本では食べ放題のことを「バイキング」と呼ぶようになりました。

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